短い

中学生のころ、部活がとても大変でこんなところ早く抜け出してバイトしたい!とずっと思っていました。

高校にあがってバイトができるようになって、やっとのそんな時に出鼻を挫かれて、辛くなって学校で涙止まらなくなってクラスの女の子たちが助けてくれました。

やっと働いた近所のドラッグストアは最高の職場でした。もしかしたら、定年まで生きたらの話ですけど、そのときにはここに帰ってくるのではなからうか。本当に奇跡の職場でした。そのくらい大好きです。

高校卒業して就職。しんどい。何がって、これが死ぬまで続くんだという気持ちがしんどい。拷問?刑務作業?仕事って結局何?私がやりたかった、あんなに憧れていた仕事って、なんなんだろう。

 

話は変わります。

 

私は常々西暦について考えていた。補足すると、西暦そのものではなく、その後に続く数字と今をリンクさせていた。例えば中学生の時はよく、「2015年?わたしまだ中学2年生なんだなあ」とか。「2016年。中3。なんで私は中学生なのだろう」とか。考えていた。別にだからなんでもない。

中学生の時は部活が忙しかったし、高校生では睡眠とバイトに精を出していた。ただふと、自分の存在を疑問に思うことがある。わたしは、今なんでこうやって生きているんだ?と、存在そのものが疑問になる。答えはない。誰にもわからない。

 

ママやパパへ

子育てを間違えたと思わないで欲しい。わたしはきっとずっと、こう。救われない犯罪者が歪な家庭環境で育って追い詰められた挙句やむなく犯罪に手を染めてしまうような、そんなことはなくってわたしは元から。近しいものだとサイコパスだと思います。わたしはサイコパスじゃないけどね!まあ近いものはそうかもね!小さい頃薬局で読んだノンタンが耳がちぎれていて興奮しました。はじめてのおつかいという本で血が出てると興奮しました。コナンが怪我すると大喜びです。パパとはだしのいっぽを見ていたのもきっと、かわいい男の子が殴られてて興奮するって理由だと思います。何もきっかけなどなく、知らない間にそういう人間になっていました!可愛くて、被害者の存在が私の好きなものでした。

可哀想なわたしがわたしはとてもかわいいです。だから、いいね してください。

 

 

 

拝啓

わかってくれないのだとわかったとき、諦めました。対話することも、争うことも。全て自分が受け入れて飲み込むことで収まることを学びました。

あんだけ言って知らないでしょう、あれからずっと自分を責め続けて、でもそれでも辛くて夜道で泣いたり布団を濡らしたり、バイト中に涙流しそうになったり。

知らないだろうな、いいんです。

それはあなたの正解だったはずです。それがたまたま私の負荷であっただけで。

でも覚えていますよ、あなたが作ってくれた炒飯の味もツインテールの高さも。だから嫌いになれないから、あなたからの言葉に真正面に傷ついてしまいます。少しの心配が混ざっていたのもなんとなく感じ取れていました。ありがとう。

でもわたしはだめでした。あなたの存在が理性では受け入れられても本能の範囲内で拒否してしまうんです。いえ、正直、考えてもあなたの考えが理解できないことが多々あるんです。

それが冒頭の、対話を諦めたことに繋がります。きっと、あなたもそうでしょう。分かり合えないんです。異世界の住人です。そもそも、育ってきた環境が違うのだから考えが違って当たり前。過ごした時間も少なかったのだからそこの擦り合わせができてなくて当たり前だったんです。そこは親の責任だとは個人的に思ってしまいますが、そこを理解できてなかったのは私の責任です。家族内でもそうなんです。だって、臓器も脳も体もHPも全部違うんだから。違って当たり前なのだから、理解できなくて当然なのです。私が、最初に対話を諦めたせいかもしれません。ごめんなさい。家族なんだから を押し付けられて、苦しかったです。家族だからなんでも話さなくてはいけないとか、家族だから出来ることは同じとか、そんなことないです。家族以前に一個人なので。私ができてあなたにできないこともきっとあるんです。それが当たり前なんです。もう泣いて眠る夜を過ごしたくないので、何も言わないでください。この家庭のがん細胞は3月末にいなくなります。猫と遊べなくなるのは悲しいし辛いけど。安心してください。そこからは安寧の地です。わたしは、必死こいて頑張ります。あと2年…2年経ったら、死のうと思います。

ジャニーズが最高って話

生まれて3年目の時に見た『野ブタ、をプロデュース』を今でも覚えています。

超イケメン2人組にわたしは一目惚れしました。母に似て面食いだったんです。

物心ついた頃にはジャニーズが生活に組み込まれていました。ちなみにファーストキスは4歳の時、山下智久のポスターでした。「やまぴーだいすき」と言いながらポスターの山下智久にキスを繰り返しておりました。

そんな私は21歳になった今も立派にジャニオタをやっております。ジャニーズと共に歩んだ人生、幸せなことしかありません。色んなジャニーズを好きになって色んな世界観を見て色々な表現方法を見て、よりジャニーズというブランドが好きになるのです。ジャニーズというのは言わば“アイドル”を形成した組織と言っても過言でないと思います。

歌って踊るだけじゃない

それはアイドルという職業の難易度を上げました。でもだからこそ私のような平民は、アイドルに憧れ尊敬し応援したいと思うのです。

ジャニーズが嫌いな人上等。一度コンサートに見に来て欲しい。歌って踊れるイケメンだけじゃないからジャニーズなんです。

死んでも愛しています、ジャニーズ。

そうだよね

やっぱりみんな私なんてどうでもよくて、隣人なんだ

私もどうでもいい、君が死んでも泣くけどどうでもいい

一番るかのこと考えてよ、るかが生まれてきた意味を教えて

あなたのためなら頑張れるよ、生きていきます。

あなたに夜ご飯を作りたい。朝は苦手なんだよね

ありがとうでもやっぱ消えたい、消えたいな〜〜〜バイバイ

死ぬ条件

絶対に、笑って楽しかった幸せだったと死ぬぞ

私は世界の誰よりも幸せだから死ぬんだって思いたい。実際しあわせだと思う。自分が不甲斐ないだけで、私の環境はとっても幸せなんだと思う。

親も誰も悪くない。

私が悪かっただけなんだよねー、いいんです。

私が死んだところで私の世界が終わるだけで、妹が居る限り両親は粘ってくれるだろうし妹には幸せに、誰よりも私よりも遥か上で幸せに笑って生きてほしいし