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周りの友人、みんな社会の生きづらさに苦しんでいる

 

わたしもある日ベッドから起き上がれなくなり、その日のうちに心療内科に行って休職した

そして退職が決まり、引っ越しや会社からの請求で50万ほど親に借金をしてしまっている

他にも生活費もままならないし個人的にも苦しい状態で、最近やっと心身が追いついてきて自炊ができるようになってきた(といっても米を炊くくらいだが)

 

生きづらさとはなんだ?と思う

 

みんな誰しも生きづらさというのは抱えて生きているはず

じゃあ、それに適応できるか?できないか?と言われたらそれは人それぞれでしかない

 

生きづらさを抱えながらも社会で生きていける側の人間と、生きづらさに飲み込まれて身動き取れなくなる側の人間

 

飲み込まれるくらいなら逃げるべきだと私は考える

実際私が休職という形で逃げているから

自殺未遂をして生から逃げようとしたこともある(失敗に終わったが)

 

ただ、社会で生きていける側の人間には逃げる行為に対して不信感を抱く人間もいるらしい

 

人それぞれだということを理解できない人間

 

多様性という言葉が乱用されるこの時代だが、“人それぞれだということを理解できない人間”を多様性に分類したいと私は思わない

というか、人それぞれだということを理解してこそ多様性が生まれるのである、そりゃあそうだ

 

では、生きづらさとは?

 

その、理解できない人間が周りに居て、更にその人が攻撃的になると、より顕著に感じてしまうのが、生きづらさなのではないか?

要は、周りの人間に大きく左右されるのだ

そうなると、本人はもう逃げるしか無くなってしまう

向き合う体力も、背負う気力も根こそぎもぎ取られてしまいには逃げるという行為すら出来なくなってしまうのではないか

そうなる前に絶対に逃げてほしい

 

その生きづらさの張本人は約80年後のあなたの葬式に心から自分を偲んで来てくれると思いますか?

もしかしたらいつか何かのきっかけでそういう心境に変わるかもしれない

でも私たちは今を生きていて、人生の貴重な時間を過ごしている

それなのにどうせ自分の死を心から悲しんでくれない、もしかしたら葬式にも来ないような人間にあなたの人生を狂わせてほしくない

所詮は他人

自分に必要のない人間は切り捨てて良い

逃げられない人だっている、それは絶対いる

だったら思いっきり誰かに頼ってほしい

友達でも家族でも愛している人でも

信頼できる人に全力で頼ってほしい

 

生きづらさには人それぞれの大きさがあると思います

生きづらくても生きていける人と生きていけない人

それを互いに理解し合ってようやく信頼関係は生まれるのかもしれません

過去の選択が過ちでも、今の選択を自分の本心で選んで、

そうして明日も貴方が無理せず生きていける選択をしてください